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青少年のための科学の祭典大阪大会発展の道筋 ーサイエンス・フェスタ2021ー
青少年のための科学の祭典大阪大会発展の道筋
高橋 憲明
1. はじめに
 青少年のための科学の祭典大阪大会を始めて30年になると言う.この自主的な自然科学の啓発活動が,主として日本物理教育学会大阪支部,近畿支部の多くの方々の努力でここまで来たことは感慨深く,大いに慶びたいと同時に関係各位に感謝申し上げたい.この機会に初期の運営,行事などについて思い起こし,今後の発展に資するものがあれば,生かしていただきたいと願うものである.
2. 青少年のための科学の祭典大阪大会の意義
 平成4年(1992年)12月19,20日の週末,大阪市中央区城見のツイン21MIDタワーで日本物理教育学会大阪支部が中心となって催した「青少年のための科学の祭典」が,私たちの学外教育に取り組み始めた嚆矢と言えよう.この祭典の大阪会場には物珍しさも手伝ってか,数千人の参加者が訪ねてきた.多くの訪問者は,「科学は面白い」と言う.
 青少年の理科離れ,理科嫌いが叫ばれてすでに久しい.この間,文部科学省,学校,学会などの単位で様々の努力がなされてきたが,今日に至るも,問題は簡単に解決に向かうものではなさそうである.この事情は先進諸外国においても変わらないと聞く.恵まれた生活,教育環境においてでもある.当時,このような事情の中で,「青少年のための科学の祭典」は東京の工学院高等学校教諭,のちに明治大学講師を勤められた後藤道雄教諭の発想が実現したものである1).生徒や,学生たち,また保護者たちに理科の実験や工作を体験して貰い,学校とは別の,自分の意志で学習する理科がいかに面白く,また,有意義かを実感して貰おうという計画であった.この企画は(財)日本科学技術振興財団・科学技術館が経費を全面負担して,東京,名古屋,大阪の3都市で.開催したものの一つである.当時,支部長の大阪大学望月和子教授(物性理論),副支部長の大阪市立大学菅野禮司教授(素粒子論),さらに理事であった人位昇校長,中田哲史教諭,島田昌敏教授(物理教育),鬼塚史朗教諭たちの決断で,(財)日本科学技術振興財団・科学技術館の提案と申し込みを受け入れたものである.
 第1回の祭典の企画,実行に参加しその成功を味わった日本物理教育学会大阪支部の会員たちの熱心な要望に応え,大阪支部は 自力で引続き,可能ならば毎年,開催することを決心した.第2回の開催に当たって,菅野礼司支部長はじめ,会員は寄付を募るなどしたが,その成果は,開催に必要な最低限にもほど遠い程度にしか至らなかった.財力が皆無の実行委員会に会場を提供し,資金を援助をしたのが大阪市立科学館であった.この申し出がなかったら,今日の「青少年のための科学の祭典大阪大会」は存在していないことは火を見るより明らかである.加えて平成7年度の第4回からは大阪財界の関西サイエンス・フォーラムが協力され,財政面を一層強化して今日の基盤を築くことができた.お陰で,この30年近くの間途絶えることなく,自力で毎年開催しているのは大阪大会だけという実績と自負に繋がっている.
 青少年のための科学の祭典大阪大会実行委員会は1993年5月設立の任意団体で,今日に至っている.委員会を設置したのはよいが,一方で,熱意だけが支えの団体で,固有の財産は零,人手も全く余裕がなく,永らく,会則や定款までも作成する余裕がなかった.
 平成5年度1994年1月の第2回から平成11年度2000年3月の第8回に至るまでの実行委員長は,年代順に中田哲史,島田昌敏,鬼塚史朗,山本克己,石井廣湖(平成9,10両年度),鈴木直先生方が務められた.
 数年のうちに参加者数は増加する一方,参加者の低年齢化が目立ち始めた.遊びの要素を前面に出すことが要求され,理科を意識する企画者の意向とずれが生じ始めた.平成7年度1996年1月に始めた神戸大会(大阪支部は主として,大阪と兵庫からの会員で成っていた)でも,この事情が目立っていたので,実行委員長の原俊雄神戸大学助教授(素粒子実験)は,高校生が見学者として来ないなら,演示者として来て喜んで貰おうという考えを打ち出した.大阪大会でもこの線を踏まえ,多くの中学生,高校生が先生方の指導のもとで,活躍することとなり,今日に至っている.
 大阪大会では,毎年新しい主題を設定し,実現することを旨とした.平成8年度1997年3月以来山田善春大阪市立高校(当時)教諭発案の「教員のたまご」,若い教員志望者を解説・相談員とする案や,さらに,中・高生理科クラブの自主的な出展,杉岡敏男校長のご尽力のおかげで実現した工業高校生の活躍などは,中・高生はもとより,子どもたち,大学生.さらには一般の見学者たちを感心させ,親しみを覚えさせるに至った.また,中・高生を指導した大阪教育大学付属天王寺中学校の廣瀬明浩教諭のもとには,生徒たちから達成感に加え,自らが成長したことを感じたという報告まで多く寄せられるに至った.
 その後毎年,平成11年度2000年3月の第8回まで,青少年のための科学の祭典大阪大会は大阪市立科学館において毎年2日間開催することとなって.毎年両日で6-8千人が訪れていた.開催日等に関しては,当時も解説書をご参照願いたい.
 経費は上述の大阪市立科学館,関西サイエンス・フォーラム等からの基金や寄付等であったが,後に述べるように,文部省科学研究費補助金,研究成果公開発表(B)の公募通知が各学会に来ている事に気が付いた.学会やその支部が行うシンポジウムなどの企画を応援するものであった.我々の企画がシンポジウムの一形態に相当する研究発表かどうか不明ではあったが,応募したところ,平成7年度と8年度に採択された.この頃から教員だけでなく,若者の活躍が定着してきたようである.補助員として学生・生徒の参加を試みる.このころの演示実験の数は40-50で,2日行うものに加え,1日だけの演示も少なくなかった.この間,大阪市立科学館会場での参加者総数は5万人程度になると見積もっている.
 大阪市立科学館では会場が研修室と工作室程度しか利用できず,大会本部も地下の駐車場を利用せざるを得ないなど,入場者数に比して会場の手狭なことはどうしようもなく,混雑による危険を避けるため解決を探らざるを得なくなってきた.
 実行委員の宝多卓男教諭の大きなご努力もあり,読売新聞大阪本社の好意で会場として大阪梅田のハービスHALL(大阪市北区梅田2-5-25)が候補に挙がった時は耳を疑ったほどである.会場の場所は大阪駅前で,しかも2千平米以上,夏の混雑にも冷房が完備している.読売新聞が会場を担当し,一方祭典は実行委員会が運営することで話がまとまり,実行委員会が必要とする経費は今までと大きく変わる訳にはいかないが,科研費の取得が謂わば必須の条件になってきた.平成9年度,10年度と続けて不採択という不名誉な記録を作っただけに,平成12年度,2000年夏の大会の準備にさいしては,採択の内定通知が来るまで,気が気ではなかったことを思い出す.
 いよいよ平成12年度から,会場をハービスHALLに移し,青少年のための科学の祭典大阪大会を8月末の週末に2日間に亘り開催した.約3万人の参加者が訪れることになる.科研費も,幸いこの種の企画が学会のシンポジウムに相当すると認知されたためか,平成12年度から現在に至るまで,毎年交付を受けている.この間,科学のおはなし,演示実験,工作など,約80のテーマを用意し,教員のほか,教員の指導のもと自発的に学習,研鑽する学生・生徒が前面に出て活躍しており,大阪大会の特徴となっている.関西サイエンス・フォーラムは若者の活躍,奮闘を評価し,平成16年度に関西サイエンス・フォーラム理科奨励賞を設置した.独自性,工夫等若者の創意に毎年5件のテーマを選んで表彰している.若い人たちや指導する教員の励みと目標になっていると聞く.実行委員長は平成12年度は鈴木直教授(物性理論),13年度から22年度までは諸般の事情により筆者が,23年度から再び鈴木直教授となる.
 大阪大会は他府県で同等の催し物を短期間のうちに発足させることはほぼ不可能と言われるほどに,質・量ともに全国第1級の理科実験・工作教室となっている.ここで経験する科学はあくまで2日間のお祭りの枠組みの中である.知識を定着させ,さらに,考える習慣を身につけるまでに持って行くにはどうしても家庭,学校の協力と理解が必要である.そのため出来るだけ多くの初等中等教育の教員の参加と,見学を可能にする努力を欠かさなかった.その後の発展は言うまでもない.この行事の意義を改めて問うと,学会支部会員の結束を図ることと,研修の機会を有意義に生かせた成果と言えよう.後に述べる,自然科学の基礎を訪ねるや万博公園理科実験野外教室なども含め,まず計画と熱意,お金は後から付いて来るという考えで実践したことであろう.今後の発展を願う.
3. 文部科学省科学研究費補助金
 文部省科学研究費補助金「研究成果公開促進費」の中に「研究成果公開発表(B)」が設けられたのは平成6年度のことである.初年度の競争率は6倍ほどであったとか.文部省学術国際局学術情報課は学会を通して募集されたらしく,大阪支部から組織替えをした近畿支部にも締め切り間際に翌平成7年度の申請のための書類が届いた.当時の記録を見ると,当初の締め切りも3週間も過ぎた日付で,日本物理教育学会近畿支部副支部長の筆者を申請者として学会本部を通し,文部省に送って貰っている.満額に近い140万円採択の通知は3ヶ月ほどして頂いた,この当時は課題番号でなく,申請番号として720050が振ってある.今から思うとあれやこれや隔世の感がある.青少年のための科学の祭典を実行するに随分有難い基金であった.平成8年度は,支部長の筆者が申請者となり,150万円の補助金を申請番号850030のもとで頂いている.一方,平成9年,10年は不名誉にも不採択(理由は未だに不明),平成11年は日本物理学会大阪支部から同支部長の筆者を申請者として150万円をいただいている.この頃は実験,工作など約50テーマを実施し,2日間の開催費用が,250万円程度であった.科研費を頂いた年は他から頂いた基金が幾らか余り,これで,1996年1月の神戸大会を初めとして,他府県の大会,京都,奈良,滋賀,和歌山を立ち上げる費用に使えた.近畿支部傘下で神戸を初め各県の大会ができあがっていった.財団法人日本科学技術振興財団・科学技術館からは,引き続き財政上の援助を頂いていたが,開催場所数は増えるのに,金額は毎年減少して行くなど,いつも財政は極めて苦しいものであった.しかし,今日に至るまで各県それなりの苦労と努力で,継続発展している事に感激を感じる.
 この後,平成12年度から筆者の申請で,毎年度ほぼ150万円の交付を受けている.ただし,平成14年度から,学会長が申請者となる事になり,筆者は開催責任者あるいは実施者として平成23年度に至っている.学会長は初め霜田光一教授から平成19,20年度は有山正孝教授その後,筆者,さらに,村田隆紀会長と替わっている.平成24年度からは鈴木直教授が実施者として学会から申請するに至っている.その後も毎年申請のたびに100万円を超える助成金をいただいている.総額3,000万円を越える補助金を利用させていただいたことになる.学会の活動として,教育研究の成果を発表する実践が認められたとして喜びに堪えない.なお科学研究費補助金とは別に,平成18年(2006)11月には文部科学省委託事業として"青少年のための科学の祭典大阪大会特別大会-自然科学の基礎を訪ねる"を7日間に亘り大阪市立科学館および大阪市立自然史博物館で開催した.
 巨額の研究費が自然科学の分野でも珍しくなくなった今日,教育への投資は十分と言えるのであろうか.ここに挙げた科研費の額は小さいかも知れないが,当事者にとっては大きな額である.最小の経費で最大効果を挙げるのは,どの分野でも変わりがない.ここに挙げた企画はいずれも,信じられぬくらい僅かの経費しか掛かっていないと驚く人が多い.ただ,会場確保のため毎年努力される読売新聞大阪本社には大きな負担となっているであろう.心から感謝したい.
4.世界物理年と自然科学の基礎を訪ねる
 青少年のための科学の祭典の会場はハービスHALLとなって,これ以上望むことはできないほどの広さを確保することができた.しかし,古巣である大阪市立科学館の魅力は忘れがたく,平成15年ついに両会場を使うことを決心した.大阪市立科学館では豊富な展示物を前に,中学生,高校生,大学生が,教員や学芸員の指導のもと自ら研鑽する.そして研究開発した器具を用いて,子どもたちから一般の見学者に,基礎から最新の科学にわたる展示物の解説を行う科学教育指導者養成の実践計画である.
 折しも2005年は世界物理年であった.丁度その100年前の1905年,A. Einsteinが光電効果,ブラウン運動,相対性理論の3つの独立の論文を世に問うたことを記念している.ちなみに,日本を例にとっても工業製品の30%以上がこれらの成果に負っていると言う.大阪市立科学館では筑前橋の北側に,世界物理年の大きな看板を作り,多くの行事で世界物理年協賛を唱って貰えた.また,2007年はUNESCOの湯川年である.大阪市立科学館があるこの地,大阪帝国大学理学部から1935年世に出た中間子理論はじめ多くの貢献を記念するものである.
 2005年の世界物理年に向けた練習の意味も含めて,2004年夏の青少年のための科学の祭典大阪大会で計画を実施し,科学館見学者の数百名に解説を試みた.手作りの発想豊かな器具,ポスター,考え抜かれた解説など,多くの見学者から称賛を受け,この年創設された関西サイエンス・フォーラム理科奨励賞を受けるに至った.生徒,学生たちの達成感と成長感のほか,他人である見学者と知る喜びを分かち合うことができた充実感も大きく,次年度にも参加希望することを表明する声が多かった.
 大阪のこの計画は,大きく膨らむ感があった.一緒に世界物理年関西委員会を立ち上げた,大阪大学工学部の高部英明教授と大阪大学核物理センター長土岐博教授のご努力で,世界物理年日本委員会の注目するところとなった.日本委員会主催の行事として取り上げられ,大きな成功に結びついた.予算書を作ることを求められのも,嬉しい驚きであった.この土台の上に2005年には世界物理年行事「自然科学の基礎を訪ねる」が始まった.開会式には世界物理年日本委員会実行副委員長の並木雅俊教授,さらに来日していたイスラエル,Weizmann科学研究所の G. Goldring教授も出席され祝辞を戴いた.これと並行して,隣接する大阪大学中之島センターでは最先端の科学について講演と実験を行うが,幸いにも大阪大学湯川記念室長の細谷裕教授のご尽力もあって,こちらは大阪大学理学研究科物理学専攻が主となって進めてくださった.中学,高校生から,大学生さらには大学の研究者も総出で,もちろんすべて無償の活動として,自然科学を解説しようと言うのである.まさに東洋で初めてプラネタリウムを設置したあの大阪の熱気以外の何ものでもないと考えるのだが,如何だろうか.
 中高生,大学生がテーマ選びから始めて自発的に勉学するのを学校,科学館が協力して応援し指導員としての訓練を積む.その成果は,科学の普及・啓蒙教育に大きな役割を果たし.参加者自らの発展に大きく寄与するのは嬉しいことである.また,経験者が後に研究者になる例が多々ある.これを新しい理科の教育法,人材育成法として2006年東京で開催された物理教育国際会議で発表と提唱を行った2).
 さて,毎年夏になると,青少年のための科学の祭典の準備が進んでくる.また,「自然科学の基礎を訪ねる」には中学生から,大学生まで200名近くが集まり,解説者として研鑽している.夏の科学館の大混雑に拍車を掛けるかも知れないが,多くの人たちに刺激と満足感を与えている.
 その後毎年,青少年のための科学の祭典の日や,11月中旬の関西文化の日,3月25日の電気の日に大阪市立科学館で展開している.また,松下財団基金を初め,日本財団助成金,阪急阪神未来のゆめ・まち基金を頂くなど,今日まで,活躍を続ける事が出来ている.また,関西サイエンス・フォーラム理科奨励賞を3度受賞している.この計画には筒井和幸,廣瀬明浩教諭たちを中心として,斎藤吉彦館長とともに努力を続けている.
5. 万博公園理科実験野外教室
 本企画は,おおらかな戸外の雰囲気の下,世代間交流,親子の対話を図りつつ,理科実験工作教室を展開する次世代育成計画で自然公園の新しい魅力の創出を目指すものとして計画したものである.理科教育を受け持つ次世代育成,理科の啓発,公園の新しい魅力の創造にかかわる事業として,一日も早く実現することが大切と考え,事務局機構など皆無に近い不完全な形で発足させている.
 普通,理科や自然科学の勉学,研究と言うと実験室や理科教室など多くは屋内で行うことを考えるのが大半である.これらの実験を野外の雄大な規模で行い,実践と思考を室内から野外に誘い出す.とくに若者たち,一般の参加者だけでなく,教員の指導のもと,実験の補助者あるいは解説者として前面に出て活躍する学生・生徒たちも含めて,スケールの大きさと,どこでも思考が出来る強靱さを養わせるのが目的である.実験・工作指導を行う教員,若者たちは参加者との対話を図る.参加者が子どもたちと一緒に訪れる保護者であれば,親子がともに理科実験・工作に取り組み対話を促進する効果も絶大である.戸外のため実験機器などを保管するのに問題があるため,目下,日曜日などの1日を開催に当てている.
 場所は大阪府吹田市にある万博記念公園森の教室付近の広場ほぼ全域を利用する.野外の実験であるが設備の問題を最小限にして特別の設営を依頼することなく,電気,水の使用も各実験班で解決することを目指す.実験設備の搬入,搬出には問題があるものの,これらも各班で解決することを目標とする.これらの作業すべてが訓練であるとの見方からである.
 理科実験の題目は,大気の圧力の実験,音の振動と伝播,スペクトルと偏光,電磁波の伝播,太陽と地球の温度など,基本的ながら易しく,また,日常よく経験する約20題目を用意している.これらの主題で規模の大きな実験を行うことによって参加者側の印象を深め,理解の促進を図る.参加者がこの経験を基に日頃から思考する訓練をすることを期待する.
 我が国はもとより世界的に見ても,自然科学の実験を屋外で体験,思考し一日浸ることの出来る施設はない.この企画はそれに近いものを導入する第一歩として万博記念公園で開催し,公園のあり方,魅力を更に引き出すことも狙う.経費などを万国博記念機構の助成金を受けている.
一般に,次世代を対象にした理科教育では,すぐに効果が出るとは考えにくい.しかし,各人が勉学,研究の一形態を会得し,それを習慣として身に付けて貰うことに最大の意義を見いだしている.大らかな自然の中で,実験し,思考して,知力とともに,体力,健康の大切さを自覚して涵養に努める手がかりを与えることになろう.第1回の開催にあたって大阪大学の藤原守准教授からこの計画の大切さについて激励を頂いたことは特筆に値する.
 我が国の若者が,たとえ,知力では凌駕しても,健全さ,スケールの大きさで,しばしば欧米の知的な若者に見劣りがする点を克服したい願望の現れでもある.さらに,理科の実験,思索の場として公園が果たす新しい魅力を創造することも狙っている.
 平成22年度は青少年のための科学の祭典大阪大会の第20回を開催する記念の年であった.野外実験の本企画は第2回目にすぎなかったが,万博40周年記念大会とすることが出来た.自由な発想に基づき最高の自然科学教育を計画するとき,まず問題になるのは経費である.条件付き,制限付きの経費は時折見かけるが,前例のない計画にはお金が附かないのが,残念ながら,一般的な傾向のようである.万博記念機構からの助成金をいただき,本年も間もなく5月下旬に第6回が開催されようとしている.万博記念機構は国際学会等で大きな貢献をしている基金としてもなじみ深いが,次世代育成を謳っている点大変有難い.また,自然公園の新しい魅力を探る点にも期待するところ大である. また,万博公園だけでなく,高等学校の課外活動として発展に至った例もある.この企画には実行委員長として檀上慎二教諭,副委員長として至田雅一教諭の熱意が大きな牽引力となっている ちなみに2013年のアジア太平洋物理国際会議で発表3)したときには,海外の参加者から,「このようなことができるとは」という声とともに,「気がつかなかった」とか,「自国でもやって見たい」とか,中には「指導に来て欲しい」とまでの声が聞かれた.
 なお,青少年のための科学の祭典大阪大会の20年以上にわたる活動は,第12回アジア太平洋物理国際会議の招待講演の一つとなった4).また,これまでに,青少年のための科学の祭典大阪大会に関係して推薦し,表彰に至った日本物理教育学会の学会賞受賞者には,宝多卓男,山田義春,筒井和幸,廣瀬明浩,至田雅一,檀上慎二教諭のお名前が挙がる.まだ大物が残っておいでで,早く推薦の上受賞にもって行きたいと思っている.
6.おわりに
 大阪大会の開催について初期の成果は大阪市立科学館の長谷川能三学芸員が纏めてられた5).その後については,纏まった記述が殆どないため,ある時期に総括をしておくことは大切であろうと考えていた,些末なことも含めて書いたのが,2013年「原子核研究」の「自然科学の教育活動」である6).この挨拶文作成には,これを開き,改めて書いたものである.私自身すでに久しく大阪大会に何の貢献もできず,しかも未だに,顧問として名を連ねていただいているが,このあたりで辞めさせていただくべきであろうと考えている.
参考文献
1) 後藤道夫,物理教育 39 (1991) 296.
2) N. Takahashi, K. Tsutsui, A. Horose, Y. Saito, and M. Tanemura, Proc. Intl. Conf. Physics Education (2006) 329, A. Hirose, K. Tsutsui, Y. Saito, M. Tanemura and N. Takahashi, ibid. (2006)361, K. Tsutsui, A. Hirose, Y. Saito, M. Tanemura and N. Takahashi, ibid. (2006) 363.
3) M. Shida, S. Danjo and N. Takahashi, Proc. APPC12 (2013) F-PWe9 O17038.
4) N. Takahashi and N.Suzuki, Proc. APPC12(2013) F3-13 O17006.
5) 長谷川能三, 大阪市立科学館研究報告 10 (2000) 165.
6) 高橋 憲明,原子核研究 58 Suppl. (2013) 365.